宇都宮・平出 産廃施設着工!住民が中止申し入れ

宇都宮・平出 産廃施設着工!住民が中止申し入れ

宇都宮市平出工業団地に建設が計画されている民間の産業廃棄物焼却施設が19日、着工した。反対住民は同日建設現場を訪れ、工事の中止と住民説明会の開催を申し入れた。
宇都宮・平出 産廃施設着工!住民が中止申し入れ

●産廃施設 深まる対立 宇都宮で建設計画
第8回 峰地区まちづくり懇談会 開催結果 :対宇都宮市

4/18 平出・産廃施設 国に再審査請求

宇都宮市平出工業団地に産業廃棄物焼却施設の建設を計画する民間業者に、同市が廃棄物処理法の許可をしたのは違法などとして、県に審査請求し「棄却」の裁決を受けた地元の反対住民が18日、環境省を訪れ、国に再審査請求をした。


●産廃施設 深まる対立 宇都宮で建設計画
第8回 峰地区まちづくり懇談会 開催結果 :対宇都宮市

≪泉が丘のおいたち≫・25

歴史編・5

●泉が丘地区周辺の遺跡
この地区周辺の遺跡をみると、先ず気づくことは、鬼怒川を中心にして、その両側の台地上に多くの遺跡が発見されていること、つぎに時代がさかのぼるほど交通路や住居跡は、地理的条件を考えて安全な地域を選んでいることです。
具体的には、河川の乱流する低湿地をさけて、やや高い台地や段丘を選んで住んでいたことが分かります。
この鬼怒川の西側は、岡本台地縁辺(河内町岡本から上三川町街までの118米前後の台地)に多く分布し、東側は宝積寺河岸段丘(宝積寺・板戸・道場宿・竹下・上篭谷・桑島)の地に多く分布していることが分かります。
そして縄文・弥生のころから、中世・江戸時代に至るまでの各時代の遺物多数発掘発見されました。

鬼怒川の本流は、縄文・弥生のころ、奈良・平安・鎌倉のころと、現在に至るまでに、幾度もその流れの本流を変えてきました。
平出町の廣琳寺(鬼怒中学校東約1Kmあたり)の住職松本氏は、廣琳寺本堂建立の際に、基礎造りのために土を掘り返したところ、1m下は大きな石や小石・砂で、土らしいものは見あたらなかったと、寺の記録に残っていることを話してくれました。

●産廃施設 深まる対立 宇都宮で建設計画
●第8回 峰地区まちづくり懇談会 開催結果 :対宇都宮市

1100年後の騒動

久々のサイト更新だが、事情により更新が出来なかった事を、お詫び申し上げたい。

1984年(昭和59年)平出工業団地開発造成から28年経過した今日この頃、産廃施設建設対反対運動問題が展開中であるが、なんと驚いた事に、
東山道遺跡周辺
ではないか?
この東山道遺跡は当時の高度な経済発展の陰に埋まってしまい、東山道遺跡は調査のみであり歴史に対する当時の行政意識は低いものではなかったか想われる。

宇都宮市平出工業団地内に産業廃棄物中間処理施設の認可申請が提出されているが、宇都宮市連合自治会東部ブロックの全自治会は、建設反対運動を展開中である。

大震災も1年経過したが、事態の深刻さは【住民対行政】の意識を変えざるを得ない所であろう。
経過を見ていても、特に原子力行政等は著しい意識改革があったと想うのである。
国法を地方行政が解釈判定する【行政対住民】意識も【住民あっての行政】に間違いなく確実に変わってきているのである。
郷土を愛する一人ではあるが、微力ながらも事態を見守って行きたい想うのである。


●産廃施設 深まる対立 宇都宮で建設計画

●第8回 峰地区まちづくり懇談会 開催結果 :対宇都宮市

≪泉が丘のおいたち≫・24

歴史編・4

●東山道について
平成12年2月28日、朝日新聞に、栃木県教育委員会の発表として、大きな見出しで、「東山道、新たに230米、古墳を迂回、奈良朝の工事わかる」という記事がでました。
その記事の内容は、宇都宮市平塚町など宇都宮市と上三川町の境界付近に広がる、「西刑部西原遺跡と杉村遺跡」を調査している県教育委員会は、奈良の平城京から、現在の宮城県多賀城市を結ぶ、奈良時代の国道にあたる「東山道」の跡が、今年度の調査で、新たに230米確認されたと発表した。

平成12年3月5日の現地説明会に私ども(注・本誌編纂関係者)参加し、詳しく説明を聞きました。

これより先に、宇都宮市教育委員会より、「上野(ウワノ)遺跡(推定東山道関連遺跡についてその調査内容が発表されました。(平成10年3月)

上野遺跡の調査内容と、先に述べた県教委の発表内容を考え合わせ、東山道が県の南東部より北上し、石井地区(推定)を通り、泉が丘地区の東約1Kmあたりを通り、北に向かっていたことが、ほぼ明らかになってきました。

古代、うつのみやは、延喜5年(西暦927年)に書かれた「延喜式」や、承平5年(935年)ごろにつくられた「倭名類聚抄」などの平安時代の書物によると、書物によると、うつのみやは河内郡に属し、池辺郷・大続郷・刑部郷・衣川駅家があったと言われています。
このうち、「衣川駅家」は、衣川は鬼怒川のことであり、宇都宮東部石井町付近にあったとする説が多いが、確定的な説ではありません。

「郷」は50戸程度の集落を郷と呼んでいました。

このうち、衣川駅家は、古代の東山道沿いに置かれた公的施設の1つで、この道を通って、多くの中央の官人や、律令政治のもと「班田収授の法」に従い、租(年貢)や調(各地の特産物)などを都へ運ぶ農民たち、そして当時、下野国は蝦夷に対する前線基地であったから、陸奥・出羽地方に反乱が起きると、これを鎮めるための征討軍の一団が、都と陸奥の国を行き来しました。

歴史に名高い、平安初期の坂上田村麻呂の蝦夷征討軍や、源頼朝・義家父子(前9年の役や3年の役)など、甲冑姿も勇ましく、馬上から多数の軍勢を指揮しながら行進し、北に向かったのである。
その軍隊が泉が丘地区東方1Kmあたりの東山道を通っていたことを想像すると、わが地区とそこに住んでいる私共も、奈良・平安時代のできごとが、ぐっと身近になり、東山道に関する興味関心もふつふつと湧きおこってくるのを感じます。

≪泉が丘のおいたち≫・23

歴史編・3

●東山道と下野国そして泉が丘

さて、昭和63年度に本県で初めて東山道と推定される遺跡が発見されて以来、現在までに10カ所ほどの関連遺跡が確認されています。
そして、その点と点を結ぶことにより、おおよそ県内のどのあたりを東山道が通っていたか分かってきました。

東山道ルート推定図(シンポジューム・古代国家とのろし 参照)
東山道ルート

宇都宮市内においても、それと推定される遺跡が2カ所確認されており、その1つが「上野遺跡」です
その所在地は、泉が丘地区中久保1丁目、現サッカー場から東へ1Kmあたり、現在の地番で言えば、平出町4144番地現在は大王パチンコ店並びに駐車場として現存しています。

≪泉が丘のおいたち≫・22

歴史編・2

●東山道と下野国そして泉が丘

栃木県は昔、下野国といわれていました。

今から1200年以上も前から、日本の国は律令制度のもとに、日本全体を5畿7道に分け、5畿とは、都付近の奈良・京都・大阪の2府1県に当り、7道とは、山陰道・南海道・西海道・東海道・東山道・北陸道で下野国は東山道に属していました。

東山道は、奈良・京都当時の都から、近江(滋賀県)・飛騨美濃(岐阜県)・信濃(長野県)・上野(群馬県)を経て、下野国(足利)へ入り、県内を北上し、県北の湯津上・伊王野付近を通り、隣国白の関がある福島、さらに北上し陸奥・出羽の国(東北地方)まで伸びていました。

栃木県に関しては、東山道は国道4号線のような国の幹線道路であったのです。
7道のうち、国の重要な道路は、山陽道と東山道でした。
山陽道は、九州に大宰府があり、対中国・朝鮮との外交及び国防上きわめて重要であり、それに次いで東山道でした。

古代の中央政府にとって東北地方における蝦夷の反乱に対処することが重要な課題であったからです。
これらの7道は政府が管理し、道路は地方の政庁が置かれた国府と結んでいました。

下野国の国府は、現在の栃木市の東北地区にあたる国府・大宮・総社町・古国府などにあったとする諸説があって確定していません。

東山道と言う道路は一定の基準によって造られ、障害物のない限り道幅は7mほどの直線(年代によって違いがあった)でした。
そして道路には、約20Km毎に中継所として駅家を設けました。
また、駅家については、駅馬を常備し中央からの官人の利用に供しておりました。

東山道『ウィキペディア(Wikipedia)』

☆次回へ続く…

≪泉が丘のおいたち≫・21

歴史編・1

●道路の変還
古代からの道路は最初はけものみち等を利用していたのでしょうが、だんだんと農道とか集落と集落を結ぶ道とかが自然発生的に出来たのでしょう。

やがて中央集権的国家が形成されてくると都と地方を結ぶ官道が必要になり、奈良朝時代(708〜781)全国的に官道が作られ、主要官道の一つ東山道が【泉が丘地区】の近くを通っていた事が最近の発掘調査等でわかってきました。

東山道ルート推定図(シンポジューム・古代国家とのろし 参照)
東山道ルート推定図

☆次回へ続く…

≪泉が丘のおいたち≫・20

江川編・1

泉が丘の地形は丘状であり、泉が丘の湧水群は東側の越戸川、西側の江川に流れ込んでいました。
江川上流については、泉が丘西自治会やエビス西自治会地内に数カ所湧水が見られ流水により開析された谷田がありましたが、近年区画整理より埋め立てられて大きな側溝状の水路となっています。
江川の周辺は遊歩道といった設備はありませんが、住宅街なので早朝等はジョッキング路として利用されております。

元今泉7丁目付近snap・1(平成23年4月撮影)
・国道歩道橋より望む。 
元今泉7丁目付近snap・1

元今泉7丁目付近 snap・2(平成23年4月撮影)
元今泉7丁目付近 snap・2

泉が丘地区・唯一の国道歩道橋
この歩道橋の少し南が日本橋より109kとの表示柱が存在しています。
泉が丘地区・唯一の国道歩道橋

☆次回へ続く…

≪泉が丘のおいたち≫・19

越戸川・せせらぎ通り 散策編・12

いよいよ、越戸川・せせらぎ通りの北端となり、散策編も最終回となります。
今回の地区は御幸(みゆき)及び御幸が原(みゆきがはら)といい、以前宇都宮での梨生産が日本一だった頃の中心地でした。
今でも細切れになった梨畑の名残りが各所に散見されます。
昭和30年代後半まで泉が丘の台地から東北本線の列車が梨畑の向うに見ることが出来ました。
越戸川・江川の湧水群も各地にありましたから、自然のままで砂地を噴上げて湧き出ている状態でしたので、この辺りに住まわれていた方なら記憶に残っているのではないでしょうか?
泉と梨が醸し出したこの地区の農民風土は、ゆったりとしており梨の収穫時には通りかかった仔らに持ち切れないほど分けて頂いたものでした。

市兵衛街道付近 snap・1(平成23年4月撮影)
市兵衛街道付近 snap・1

市兵衛街道付近 snap・2(平成23年4月撮影)
市兵衛街道付近 snap・2

市兵衛街道付近 snap・3(平成23年4月撮影)
市兵衛街道付近 snap・3

市兵衛街道付近 snap・4(平成23年4月撮影)
越戸通り以北〜市兵衛街道 snap・2

☆次回へ続く…
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